YAMANEcoaching.blog

自分の人生、自分だけの人生、やりたいことをやりたいようにやれた方が幸せなんじゃないのか。そう実感してからコーチングをはじめ、自分の理解者は自分しかいない。やりたいことを自分に素直い生きるためにコンサルタントとして活動しています。

人生とはなにか

今日は、ふと思いつくこと全部描いてみようと思って

ブログを久しぶりに更新します。

 

 

 

相変わらず悩みが尽きない僕ですが、

なんかこの歳でここまで悩めることが

ものすごく幸福なことなんだなって

改めて感じることができるようになりました。

 

 

 

悩めることが幸せって

なんか不思議ですよね笑

 

 

 

ずっとずっと結果が出ずに、

逃げ場もなく、向き合うしかなく、考える癖から

逃げることさえできず、

 

 

 

人生からも逃げようとしていた自分ですが

ようやくなんとなく、なんとなくわかったものが

ある気がするのでまとめてみようと思います。

 

 

 

さて、こいつは何を言っているんだ

と思っている人もいるとは思いますが、

見てくれているだけ感謝しなきゃいけませんね笑

 

 

 

書きたいことが多すぎて

何から描いていこうかな。

伝えようとせずに、思うがまま描いて行きます。

 

 

 

じゃあとりあえず

 

「なんのために生きているのか」

 

というところから話していきますかね。

 

 

 

「人生には目的がある。」

そういろんな偉人が言っています。

 

また、「人生には目的なんかない。

産まれちゃったからいきてるだけだ」

という人もいます。

 

 

 

なんかすごい矛盾ですよね笑

 

ここまで意見が違うって頭がおかしいのかとさえ

思ってしまいますが、

本来はこの目的っていうことを考えることさえ

どっちでもいいことなんだな

 

 

 

っていうことに気がつくことができました。

 

 

 

ちなみに言っておくと、

これが全てではないです。

 

この考えは、今日、2017_07_21日時点での

山根の考えなので幼稚かもしれませんし、

それ以上でもそれ以下でもないかもしれません。

 

これが正解かも不正解かもしれませんし、

結局何が言いたいのかもわからないかもしれません

 

 

 

だけど、今日気づけたことは、

「結局何が言いたいのかはわからない」

っていうことでいいんだっていうことです。

 

 

 

この世に正解なんて落ちてない

正解を作るのは自分しかいないし、

その正解に気づけることがすごいことなんだ。

ということを思うようになりました。

 

 

 

正解なんて存在しない、あるとしたらFACTだけ、

つまり事実だけなんですよね。

 

 

 

テストで90点が取れたという事実、

スマホがつかないという事実、

LINEの通知が来たという事実、

テレビから音が出ているという事実、

エアコンの電源が入っているという事実、

生きているという事実、

 

 

 

結局見えるものは事実だけ

大事なのは解釈がどうなるかなんですよねやっぱり

 

 

 

事実は変えられないし、

変えるように行動することができるが人間の特権なんですよね

 

 

 

もっと正確にいうと、

生きてる人間の特権ということです。

 

 

 

自分は事実さえも変えようとしてきました。

生きてるっていうことさえも

変えようとしたこともあります。

 

 

 

生きている意味がわからなくなってしまったから、

理由を探して、答えを探して、さまよって、迷って

考えていたからです。

 

 

 

生きている理由が欲しかった。

自分のためでも人のためでもなんでもいい。

自分が楽しくったって、傷ついたって

どうなってもいい。

 

 

 

ただ、なんのために生きてるのかを

実感できるような、生きてるっていう実感が

できるようなそんな理由が欲しいって思ってました。

 

 

 

それがいつまでたっても見つからないから

自分には存在する意味すらないんじゃないのか。

とか、人生なんていらないとか、捨ててもいいんじゃ

ないのかとか、思うようになりました。

 

 

 

周りの人も全て捨てようかと思ったことさえあります。

 

 

 

 

一生懸命、事実を変えようとしていたんですね。

生きる目的が欲しかったから。

 

 

 

だけどそれさえ、本来は違うことだった。

 

人生の目的を探し続けることは別にしてもいい。

だけど、それは事実を捻じ曲げるのではなく

解釈を変えないときっとできないことなんだと思う

 

 

 

んーー

それさえも言い切っていいのかはわからないけども

そもそもそこにさえ答えなんてないんだと思うんだ。

 

 

 

きっとこの世で変えちゃいけない事実というものは

「生きる」ということだけなのではないのだろうか?

 

 

 

「生きる」ことは変えてはいけない

少なくとも自分は生きることは変えてはいけないと

思うことができるようになった。

 

 

 

なんか頭がごっちゃごちゃで

何を言っているのかわからないが、

 

 

 

生きることは変えてはいけないのだ。

 

 

 

だけど、生きることを捨てた人から

考えるきっかけをもらっていることだってあるし

少なくとも、自分は生きることを捨てた、

もしくは生きれなかった人間から、

考えることがあるのだから。

 

 

 

この世の出来事もそうだし、ものもそうだし、

起こることもそうだし、きっと偶然だけど、必然なのだろう。

 

 

 

いや、それさえもどっちでもいいのかもしれない。

 

 

 

意味がわからないな笑 描いててすごく思う。

 

 

 

だけど、それこそが自分にとってはいいことだし

意味わからないのが素敵なことなんだと今は思える。

 

 

 

例えば、自分が心に残っていることを

一つ紹介します。

 

 

 

自分の人生を考える大きなきっかけをくれた

女の子がいる。

 

 

 

その子は、2回会っただけだが、(正確に言うと3回だが)

はっきりくっきりと自分の人生に跡を残してくれた。

 

 

 

そのこと話していた時、トイレに行きたくなって

トイレにいって帰って来た時、すごく心が動いた。

 

 

 

空っぽだったコップに水が入っていたんだ。

 

 

 

たったそれだけのことだけども、

されどそれができる人間がどれほどこの世の中にいることだろう。

 

 

 

ものすごく嬉しかったのを今でも覚えている。

 

 

 

その子は集合時間に、30分その日遅れて来た。

ちなみにほとんど連絡をせずに。笑

 

 

 

探したなー笑

 

 

 

ああ…。結局約束したのにな…。

と思って、トボトボ、、、落ち込んで歩いてた…。

「はー…。」とため息交じりにカフェで待っていたら

 

 

 

「ついた」と連絡がきて

びっくりしたけど嬉しかったのを覚えてる笑

 

 

 

そんで最初いたカフェに戻って、

席について、その子が飲み物を買ってくるのを

待っていた。

 

 

 

そしたらびっくり。

 

 

 

帰って来たその子が手にチーズケーキを

持っているではないか。

 

しかも、「はい」と僕にくれたんだ。

 

 

 

「え、いいの?」と思うと、

「遅刻して来たから」って言ってたっけ。

 

 

 

わかってるじゃん笑

と言うかそこまで気を使えるのってすごいな

と感心しつつ、嬉しくてめちゃくちゃ笑顔になったなー

 

 

 

それが今でも忘れられない。

本当の「まごごろ」ってこう言うことなんだな

って言うのを強く感じた。

 

 

 

きっとこの子って優しい子なんだな

本当はキラキラしてて優しくて、いや、

優しい何かを感じることができる子なんだ

って当時も思ったよな。

 

 

 

だから、根っから本当は優しくて

素敵な人なんだと思っていた。

 

 

 

だけどその姿からは想像できないほど

自分は嫌われちゃったのかな笑

 

 

 

嫌われるのは辛いけど、

その子の心が優しさに包まれてるって

そう信じたかったのかもしれない。

 

 

 

嫌われた自分を認めたくなかったからさ。

 

 

 

だけど、この行動にも、解釈と気持ちは

一つと言い切れないんだなって言うのを

今日改めて実感した。

 

 

 

今日、たまたまツイッターで流れていた

2ちゃんねる?のサイトで描いて会った物語をみた。

 

 

 

中学生にもなる女の子。

虐待を受けていた女の子が、大学生の男の子に保護されて

本当の優しさとか愛とか心を開くこととか、

人を思う気持ちだとか、それを鮮明に描いている物語だ。

 

 

 

それに出て来たこと。

その子が初めて出会った日の夜、

寝る間際になった時、急に服を脱ぎ出した。

 

 

 

そして、一言衝撃の言葉を放った。

 

 

 

「今日は美味しいご馳走と

暖かい部屋をありがとうございました」 

 

 

 

仕組まれたようなこの言葉。

 

 

 

痛いことをされないために仕組まれた

この行動と言葉を発していたんだ。

 

 

 

これをみて、思った。

 

 

 

自分は決めつけてたんだって。

 

 

 

自分がきっと場面は違くても、

初めて会った子供が、同じように

感謝の言葉を口にしていたら、

 

「すごくいい子なんだ。心が綺麗な素晴らしい子だ。」

 

と思っていただろう。

 

 

 

だけれども、これが仕組まれていたこと、

つまりやらないとダメだから、やっていたこと

だとしたら…。

 

 

 

そこまで考えられてなかった自分が

どれほど小さくて惨めかって言うのを

改めて実感した。

 

 

 

自分が出会った女の子ももしかしたら、

過去から来ている行動だったのかもしれない。

 

 

 

だって、その子は愛情がわからないと言っていたから。

目は死んでる訳では少なくともなかった。

だけども過去にとらわれていたのは事実。

 

 

 

小さい頃から母親に捨てられ、

父親には暴力を振るわれ、

生きてることさえも否定されてたんだ。

 

 

 

それを知っていて、

こんな心あったまるような行動を

してくれたもんだから、本心は優しい子なんだなって

思ってしまったんだよな。

 

 

 

だけど、気を使わなきゃいけなかった人生だったから、

人から好かれるすべを持っていただけなのかもしれない。

 

 

 

心のそこからの思い出そのすべを使っていたのかは

実際のところわからない。

 

 

 

もしかしたら違ったのかもしれない。

 

 

 

今はもう確かめようのないことだが、

このことからもわかることは、

人なんてわかることはできないし

答えはどれだかわからない。

 

 

 

小学校からずっと答えを答え続けて

正解と不正解をつけられて来た僕たちには

答えがない問題を理解するには時間がかかるかもしれない。

 

 

 

だけど、これが事実なんだと少なくとも僕は思う。

 

 

 

きっと全ての物事は「わからない」が正解だろう。

そもそも正解も不正解もないんだ。

 

 

 

だから余計正解を求めたくなるし、

不安にもなる。わからなくもなる。

 

 

 

だけどきっとそれでいいんだ。

 

 

 

きっとそこから生きる意味が見つかるのだから。

 

 

 

 

生きる意味というか、自分はどう生きたいのか

というところが見つかるんだと思う。

 

 

 

迷い続けて初めて、少しずつ自分を知れるように

なって言って、見つかるものなのかもしれない。

 

 

 

ちなみに、今日自分の生きる意味が

改めて見つかった気がする。

 

 

 

自分がどう生きたいのかだ。

 

 

 

それは「考え続けられる人生を送りたい」

ということだ。

 

 

 

なんか自分から出て来たものだからすごく納得できるし

しっくり来ている。

 

 

 

自分の周りには、好きなことをして生きて生きたい

とか、自由に生きて生きたいとか、

遊んで生きて生きたいという人が多い。

 

 

 

それにその反対で、死ねないから生きている

と言っている人もいたりした。

 

 

 

自分は死ねないから生きてるんだっていう考えに

なったこともあるし、楽しいから、自由という

言葉を使ってみたこともある。

 

 

 

だけどすぐなんかなーと思う時がやって来ていた。

 

 

 

他人の言葉を借りていたからだ。

 

 

 

で、今日見つかった考え続ける人生

っていうのはちょっと違う。

 

 

 

これは自分の中から見つかった答えだ。

 

 

 

最近悩むことがまた多くなった。

今までの人生を考えてきた時に、うまくいくことよりも

悩むこととか結果が出ないこととかの方が

比較的に多かったんだ。

 

 

 

だからこそこう思うのかもしれないが、

今の自分にはこの言葉がしっくりしている

 

 

 

「考え続けられる人生を送りたい」

考えるのがとにかく好きみたいだ自分は笑

 

 

 

最近、教師とか児童養護施設とか

いろんなものを調べたり、見たりしているが、

また目指そうかなと思っていた。

 

 

 

だけど自動養護教員になるためには、

やっぱり資格がいるんだってことを知って

なんか目指したいのかなー

ってまた思ってしまった。

 

 

 

虐待とかと全く縁のなかった自分が

なぜそこに関心を持つようになったかっていうと、

今年の1月にある女の子と出会ったから。

 

 

 

そこから本格的に盛大に迷い始めた。

 

 

 

だけど、だからこそ

自分の生きたい人生が見つかったんだと思う。

 

 

 

考えて考えて考えて考えて悩んで悩んで悩んで悩んで

苦しくてストレス溜まって、死にたくもなって

辛くて逃げ出したくて不安で、

 

だけど逃げ出すのも不安で、怖くて、

正解を求めて、どうすればいいのかすら

わからなくなって。

ごっちゃごちゃになった。

 

 

 

で、今日たどり着いた答え。

それは「自分って考えることが好きなんだな笑」

っていうこと。

 

 

 

きっと考えることが好きだから

考え続けてるんだなって気づけた笑

 

 

 

だって教師になって幸せな人生を歩んでる想像しても

嫌じゃなかったけど、なんか死んだ時に、「あー幸せだな」

って言って死んで言ってる気がした。

 

 

 

そこにはエネルギーはほとんどなく、

生きてたことに幸せを感じながら。

 

 

 

だけどそんな簡単には行かないし、

どうなるかなんてわからない。

先なんてわからないじゃないか。

どうすればいいんだ…。

 

 

 

脳内で勝手に会議が始まっているんだ。

 

 

 

そこで、脳に住んでるやつは、

きっと会議を開くのが、そして勝手に考え続ける

ことがすきなんだなっていう結論に辿りついたんだ笑

 

 

 

遊ぶことは楽しいが、別になくてもいい。

遊び中にすら考えちゃうからさ笑

 

 

 

別に自由じゃなくてもいい、

だって教師でも養護教論でも、働くことは

変わらないのだから。

 

 

 

養護教論にはなりたいと思う。

だけど、自分をわざわざ傷つけることにもなると思うし、

なんでわざわざそれをするんだ…。

そんなことまで考えていた。

 

 

 

自分ってどんな人間か。

それもわかるようになってそれも

わかるようになってきた。

 

 

 

嫉妬深かったり、メンタル弱かったり、妬みがあったり

実はこどもがあまり好きじゃない時もあったり、

恥ずかしがり屋だったり、寂しがりやであったり、

 

 

 

ごくごく一部でもこれだけわかったり

あとはもう書き出したら止まらないくらい、

自分のことをしれた。

 

 

 

自分=◯◯っていう正解は見つからないけど、

きっとこうやって「考える」ということが

好きなんじゃないかって今では思う。

 

 

 

考え続ける人生を送れるんだったらきっと

よかったなって思えるような気がしたから

それを書き記して起きたかった。

 

 

 

そしてあとは感謝だ。

 

 

 

自分に考えるきっかけを与えてくれる

今関わっている人や仕事に本当に感謝しなくてはいけない

 

 

 

そして出会ってくれる全ての人がいることが

当たり前じゃなくて素晴らしく恵まれたことなんだって

改めて気づいて感謝を忘れずに。

 

 

 

幸せ者なんだってそう思えたから、

だからこそ当たり前にせず、当たり前だと思ったら

失ってみた自分を想像してみて、

自分を観察すること。

 

 

 

そうすれば本当に進むべき道が

きっとどこかで見つかるはず。

 

 

 

見つからなくても大丈夫。

その姿をみて影響を受ける人はどこかにいるから。

 

 

 

だから死にたいのなら死ねばいいさ。

生きたいのなら生きればいい。たびに出たいのならし、

仕事をしたいからする。

 

 

 

それでいいじゃないか。

 

 

 

人の声でも目線でもない。

自分が選んだ選択ならそれでいいじゃないか。

 

 

 

だって死んだとしても、死んだっていうデータになり、

それが誰かの記憶に残り続け、何かきっかけを

当たえることができるようになる。

 

 

 

人間って、他人って、生きてるとか死んでるとか

そんなん関係なしに、「いる」っていうこと自体が

こんなにも素敵なことなんだなって今日も感謝をして

寝ようと思います。

 

 

 

唯一自分が望みたい世界があるとしたら、

虐待がなくなるといいな。

ビクビク怯えていい子になるのではなくて、

 

 

 

心から笑えるような人で、

この世が埋まってくれるといいな

 

 

 

都会でよくありがちな、

歩いてて肩がぶつかっても何も言わないという光景。

誰かが困ってても助けようとしないという光景。

 

 

 

あれが少しでもあたたかいものに変わっていったらな

ということを願って。人と人とが結ばれる、そして愛が

育まれる結婚式でいうと、アーメン。願うということ。

 

 

 

それを少しでも願って今日も考え続ける毎日を

過ごしていこうと思います。

 

 

 

今、起こっているもの、自分が関われている、

関わってくださっている、無意識にでも繋がることができた

全てもものに、全ての人に感謝して。

 

 

 

悩めることも傷つくことも全ては経験、

どんなに何かを言われたって嫌われたって

その考えるきっかけをくれた出会いに感謝して。

 

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

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